才能と言う言葉について思うこと

2022年3月2日水曜日

・才能は、結果論

私は、才能という言葉が嫌いです。

才能というものは、あるのかもしれませんが、正直、才能という言葉は結果論。

そして、できない人間が、できる人間に対して、「才能がある」とすることで

「あいつは努力しなくてもできるもんな。自分は努力しても無理だ」

と、自分が努力しない言い訳、負ける言い訳に使っていると感じるためです。

もしくは、

「努力しなくてもできるやつはいいよな」

という、皮肉にも感じます。

(我ながらひねくれてますw)

実際のところは、成功者は、凡人以上に努力、時間を費やしていることでしょう。

練習時間だけでなく、考えている時間もです。


・才能以前の問題

スポーツにしても、できない人間は、そもそもやり方を知らない、ということがほとんどだと思います。

テレビ、ネット動画等で、練習方法、考え方について解説があると、こういう感想を持つ方が多数おられます。

「ああ~そういうことか!。もっと早くこれを知っていれば・・」

と。


そうなんです。

才能以前の問題なんです。

やり方、考え方等を知らないのです。

そもそもスタート地点にすら立てていなかったのです。


「やる気があるなら、自分でそこまで調べろよ。」

というのは、正論です。

しかし、実際やるのは難しいでしょう。

正しい情報がどれかわからず、特に学生時代は、そこらの地方大会程度のレベルの学校では、

「一生懸命練習しろ」

ということしか言われないですし。

(今はネット配信等で解説されていたりするので大分ましですが)


どこかで読んだ覚えがあるのですが、スポーツで成長する時期が


・下手な人間に指導しない

下手な人間は、上手な人間より大変です。

下手な人間には、まともな指導をしてくれません。

「手取り足取り教えてもらえると思うな」

と言いますが、そのくせ、上手い人間には、手取り足取り教えます。

また、こんな言葉も言われます。

「見て覚えろ」

・・・

見ただけでできる能力があれば、こんなところ(応援席)に座ってねえんだよw。

上手い人には、才能を求めないのですが、下手くそには才能を求めるのです。


・あとがき

あるプロ野球選手の同級生が、インタビューでこんなことを言っていました。

「○○は、誰よりも練習していた」

「○○は、野球のことばかり考えていた」

等。

・・・

もし、プロになった理由が才能ならば、

「○○は、誰よりも練習していた」

なんて逸話が出てくるはずがないのです。

つまり、周りは、彼ほど練習していない、野球のことを考えていなかった、ということでしょう。

それを「才能」という言葉で片づけるのはいかがなものか、と思うわけです。


才能って、結局運だと思っています。

自分に合った練習方法をたまたましているチームに所属。

たまたま、ライバルと呼べる選手に出会えた。

たまたま、お手本になる選手が身近にいた。

しっかり指導してくれる指導者に出会えた。

たまたま、そのスポーツを体験した時に、チャンスで結果を出せたことで、自己肯定感が高められ、その種目を好きになり、もっと上手くなろうと努力するきっかけになった。

等々。


特に、指導者の存在って大きいと思っています。

私がいた学校では、陸上部が全国大会にでるほと強かったのですが、顧問が変わったとたん、大して強くなくなり、その顧問が異動した学校の陸上部が強くなった、っていうことがありました。


良い指導者に巡り合え、しかもしっかり指導してもらえることは、影響として大きいと思いますね。



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