・才能は、結果論
私は、才能という言葉が嫌いです。
才能というものは、あるのかもしれませんが、正直、才能という言葉は結果論。
そして、できない人間が、できる人間に対して、「才能がある」とすることで
「あいつは努力しなくてもできるもんな。自分は努力しても無理だ」
と、自分が努力しない言い訳、負ける言い訳に使っていると感じるためです。
もしくは、
「努力しなくてもできるやつはいいよな」
という、皮肉にも感じます。
(我ながらひねくれてますw)
実際のところは、成功者は、凡人以上に努力、時間を費やしていることでしょう。
練習時間だけでなく、考えている時間もです。
・才能以前の問題
スポーツにしても、できない人間は、そもそもやり方を知らない、ということがほとんどだと思います。
テレビ、ネット動画等で、練習方法、考え方について解説があると、こういう感想を持つ方が多数おられます。
「ああ~そういうことか!。もっと早くこれを知っていれば・・」
と。
そうなんです。
才能以前の問題なんです。
やり方、考え方等を知らないのです。
そもそもスタート地点にすら立てていなかったのです。
「やる気があるなら、自分でそこまで調べろよ。」
というのは、正論です。
しかし、実際やるのは難しいでしょう。
正しい情報がどれかわからず、特に学生時代は、そこらの地方大会程度のレベルの学校では、
「一生懸命練習しろ」
ということしか言われないですし。
(今はネット配信等で解説されていたりするので大分ましですが)
どこかで読んだ覚えがあるのですが、スポーツで成長する時期が
・下手な人間に指導しない
下手な人間は、上手な人間より大変です。
下手な人間には、まともな指導をしてくれません。
「手取り足取り教えてもらえると思うな」
と言いますが、そのくせ、上手い人間には、手取り足取り教えます。
また、こんな言葉も言われます。
「見て覚えろ」
・・・
見ただけでできる能力があれば、こんなところ(応援席)に座ってねえんだよw。
上手い人には、才能を求めないのですが、下手くそには才能を求めるのです。
・あとがき
あるプロ野球選手の同級生が、インタビューでこんなことを言っていました。
「○○は、誰よりも練習していた」
「○○は、野球のことばかり考えていた」
等。
・・・
もし、プロになった理由が才能ならば、
「○○は、誰よりも練習していた」
なんて逸話が出てくるはずがないのです。
つまり、周りは、彼ほど練習していない、野球のことを考えていなかった、ということでしょう。
それを「才能」という言葉で片づけるのはいかがなものか、と思うわけです。
才能って、結局運だと思っています。
自分に合った練習方法をたまたましているチームに所属。
たまたま、ライバルと呼べる選手に出会えた。
たまたま、お手本になる選手が身近にいた。
しっかり指導してくれる指導者に出会えた。
たまたま、そのスポーツを体験した時に、チャンスで結果を出せたことで、自己肯定感が高められ、その種目を好きになり、もっと上手くなろうと努力するきっかけになった。
等々。
特に、指導者の存在って大きいと思っています。
私がいた学校では、陸上部が全国大会にでるほと強かったのですが、顧問が変わったとたん、大して強くなくなり、その顧問が異動した学校の陸上部が強くなった、っていうことがありました。
良い指導者に巡り合え、しかもしっかり指導してもらえることは、影響として大きいと思いますね。
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